マスター年末年始の闘病生活(T_T)
★★★★我が家の一大事★★★★
入院のはじめから退院までをここに書きます。
平成17年12月28日から平成18年 1月10日まで
【12月28日】
朝8時大きな病院の外来に行く、事前の予想では、一族に「盲腸」の経験者が居なくて「盲腸」
以外の病気を想像していた・・・“腫瘍”が一番人気である、母方も父方も例外無く
「ガン」で死んでいる、良性か悪性かは判らないがほぼ「腫瘍」と思いこんでいた、
腸が詰まって便が出なくなっていたから・・・叔父が死んだときも同じ症状だったから
でも血液検査の結果すぐに「盲腸」と判った、自身の想像とは全然違う結果だが、一番良い
結果がでた^^。
こうなりゃ「盲腸」なんて命にかかわる様な病気じゃないし「へっちゃらのへ〜」である
担当の外科の先生に「我慢できる痛みだから後3日してから入院じゃだめですか?」などと
アホな交渉を持ちかけて「もう破裂してるから、腹膜炎を起こす可能性が有るから」
「ウイルス性ショックで命に係わるよ」結局手術日を何時にするかの選択肢は無くて、
今日手術前に1時間支度時間が貰えるか、貰えないかの話でした、諸々の検査を済ませて
急いで帰宅、そして入院準備をして、お店の仕事についてママと打ち合わせをしてすぐにまた
病院へ戻り「入院」病室について着替えた途端に肩に「眠くなる注射」を打たれ、そこからは
“空白”の時が流れて「入井さん!」「入井さん!」と呼びかけられて目が開いて意識が
戻ったのが7時過ぎ、「全身麻酔」と「下半身麻酔」と両方掛けてあり、当然「全身麻酔」は
もう切れて居るのですが、「下半身麻酔」は腰から下だけが効いている状態で傷口の麻酔は
もう切れて「ピリピリ」痛みを感じる足は次の日の朝まで、まるで「鉛の固まり」の様だった。
目の前に有る自分の足が、自分の意志が全く伝わらず全く動かない・・・この時一時的にせよ
「障害」を持つ人達の気持ちがよく分かった。
執刀医の先生から症状の説明が有った・・・・盲腸がせんこう(破裂のことらしい?)していて
既に腐っていて、腸にも穴が空いていて腹膜炎を起こしていた、と聞いた。
「危なかったなぁー」?「そうなんですか」そんな感じである、通常であれば1週間の入院で
済む話らしいが「少し長くなる」らしい。
腹の傷は、たかが「盲腸」だが意外に大きい20p近く有るし縫い目も20数針縫って有る、
普通は7〜8pくらいらしい、でもこれは痩せた人の話で太った人は大きく切らないと
お腹が開かないらしい、全ての根源は「肥満」に有るらしい「百害有って一利無し」
とはよく言ったモンだ、でも「一利」は有る、子供達はお父さんのお腹に乗るのが大好きだ。
【12月29日】
術後翌日から「自分で歩いてトイレに行ってください」と言われた起きたり寝たりが
お腹に響く少し歩くのもかなりお腹に響く、ホールまで携帯電話を掛けにそろりそろり
歩いていくのですが、着いたときには汗だくでグッタリである、電話を掛けても腹に力が
入らず声が出ない、何かふがいない自分に腹が立つ、それでもお店の事などの打ち合わせ
など用事が沢山有るので、日に何度もホールまで足を運ぶ。
【12月30日】
外来でここに来る前日から食欲が沸かず食べていない、今日で4日固形物を口に入れていない
点滴が主食である、ものすごく何かを咬みたい欲求に駆られる、食べたいと言うよりも
咀嚼したいのである、何か食いてぇ〜。
『悌毛』であるが、お腹を切るわけで当然大事な毛も剃る訳であるが、T字のカミソリか何か
を使うのだと思ったら「電気バリカン」だった、しかも『トラ刈り』こんな物なのか?
まぁ人に見せて自慢する物でも無いのでトラ刈りでも我慢は出来る、食事も無く歩くのは辛いし
ただ横になりテレビを見るか有線を聞くかである、退屈だ。
最近の病院は「携帯電話」にはあまり五月蠅く無いようだ、枕元に携帯を置いてメールを
やりとりしても誰にも言われない「建前はダメなことになっているので、こっそりしてね」
みんなそう言う、確かに携帯電話の影響で医療用の機器が狂って事故が起きたという話は
一度も聞いたことはない、おかげでお店での出来事や、誰が来てくれたかなど、ほぼ把握
している。
そしてここの良いとこは「看護婦」がみんな若くて可愛いのである^^それが救いだ、そして
みんな人当たりが良い(病院も客商売だから当然と言えば当然なのだが)とても居心地が良い
白衣の天使とはよく言った物だ。
パソコンにぃちゃんが見舞いにきてくれた、出来ればだれも見舞いに来て欲しくないのだが、
何故かというと寝癖頭だし、ヒゲもぼうぼうだし、第一に「盲腸」は病気のウチに入らない!
なので無様な姿をあまり人に見られたくない(家族は別だが)ママが子供達を連れて
毎日来てくれている、それが唯一の楽しみである、朝は6時起床そして夜は9時半消灯なのだ
朝起きてから寝るまで「食事」という区切りが無いのでだらだらと一日を過ごす。
【12月31日】
遂に今日から食事が出る朝、看護婦さんが食事の載ったお盆を運んできた、たかが病院食でも
嬉しい物だ、ところが『重湯』である、自身が小さい頃、婆ちゃんが障子の張り替えの時に
作っていた手鍋の中の‘のり’にくりそつである、入院の準備の時に「必要品のリスト」の中に
「ハシ」とは書いて有ったが、スプーンとは書いてなかった、結局すすって飲むしかなかった、
普段の食生活が贅沢なだけにショックは大きかった。
看護婦さんが「お正月は特別に、消灯した後もこっそりテレビを見てていいですよ」
と言ってくれた、頑張って普段通りの不摂生をしようとテレビを見ていたンですが11時頃
からの記憶が全くない、「早寝、早起き」の週間が着きつつあるようだ。
【1月1日】
遂に新しい一年が始まった、がやはり病院のベッドの上で迎えた元旦である、病院の朝は早い
6時、まだ外は暗い、日の出前である、考えると初日の出など見たことは無い、日の出の
瞬間に起きてることは、人生で初めてのことかもしれない。
7時今日から三分粥、相変わらず「のり」とも「鼻水」ともつかないご飯だ、そしておかずは
正月なのにこれと言って質の高い物は出てこない、何か日本人は盆、暮れ、正月と区切り
を付けて一年を過ごす、その区切りがつかない、有る意味「鼻水」で区切りがついた形に
なっているのかも知れない、年度が変わっても、昨日と変わらない一日、変わった物は
「重湯」から「三分粥」になっただけ。
年の瀬の一番忙しいときに入院したこと・・・「何でこんな時に」と言う思いが強かったが
考え方を変えるとこの休みの長いときで良かったのかも、テレビを付けると「正月らしさ」
を感じた、番組の司会者は皆羽織袴で出ているゲストも皆振り袖など様々正月っぽい服装で
出ている、世間様は今正月なんだなぁ〜。
今日も夜はこっそりてれびを見ていて良いらしい、ふと思うがこの病棟には自身と同年代の
患者が居ない、と言うか小さな子供を除いては自身が一番若いのかもしれない。
【1月2日】
今日もまた何も変わらない一日である、が少しずつ元気が出てきている、腹の傷も痛みが
和らいで来ている、こんな時は「くしゃみ」をしたくないのだが、こんな時に限って
こらえきれずに「くしゃみ」をしてしまう、激痛である、縫い目が開いたと思えるほどに
痛いのである、周りのベッドに居る人達もみな切りたての人々だ、よく「くしゃみ」をして
体を丸めて唸っている人を見る、気の毒に思う、今日から五分粥になった三分も五分も
さして変わりはない、2日ともなればもう正月は終わりらしい、消灯時間にテレビをきちんと
消す用に、念を押された、退屈だ。
【1月3日】
今日もまた何も変わらない一日が始まった、食事は七分粥になった、そして午前の回診の時に
一目置きに抜糸することになった、そして外出許可が出た!ラッキー、早速届けを出して
帰宅、子供達のはしゃぎ方は異常なほどだった、今日までお店のことも家の事も、小さい子供
二人の家庭では、ましてやクルマの免許を持たないママには大変なことである、ちょっとした
買い物も、子供二人と一緒に行くとなると大変である、帰宅後はまず自宅の食材の買い出し
からである、外出初日は夕飯の出る6時に病院のベッドに戻った、少し疲れた。
そして大量の出血、‘無理をしないでくださいね’と言った看護婦さんの言葉の意味が
判った。
【1月4日】
今日から全粥だそうだ、自宅では普通食なのだが・・・・・
今日残りの抜糸をすると言っていたが、抜かなかった?それでもまた外出許可を貰った、初日
の仕込みの為の仕入れをしなくてはならない、無理をしてはいけないそうだが、
どうしても買い物の荷物が多いそして重い、新年の営業が始まっても少しの間だは、外出で
お店に出るしか無いので7時まで時間限定での出勤になる。
年末、年始と北海道は少し荒れていた、海の様子もあまり芳しくない用で、ただでも年始の
「初セリ」はご祝儀相場になるのに、天候が悪いと更に上乗せになる、毎年のことだが
かなりやきもきする、直買い先の漁協などとも電話で5日に魚が届く用に打ち合わせをして
毎年そうだが、欲しい物が全部揃うことは無いが有る程度のものは確保しなくては魚が売り
の釣助としては困るのである。
【1月5日】
今日も外出、いよいよ初日である、欲しい魚が届くか否か、殆ど揃った「ホッ」とした
初日は大して忙しくもないが、何せ仕込みが多い、ゼロからのスタートなので来店のお客さんが少なくてもその合間合間に仕込みを続けながらなのでかなり大変である、
まぁ自身は7時までの時間限定なので量的には大して仕事はしないので楽珍だ、そういえば
今日残りの縫い目を抜糸してお腹に刺さっていた最後の管も抜いた、丁度ベルトの当たる
あたりなので少し@「いずい」と言うか「痛い」かも知れない、ママが来て自身が着替えるとき
ガーゼ、腹帯を通り抜けシャツまで「血だらけ」になっていた、こんな事で大丈夫か?
一度帰宅してからタクシーに乗り換えて病院に戻る、看護婦さんに見て貰う、未だ完全に
くっついていないのに無理をするから、だそうだ、大した無理をしたとは思わないが・・・
傷に防水テープを貼って貰いシャワーに入る、「防水テープ」確かに防水らしいが剥がれやすい
だからあまり意味がない、上がった後はまたガーゼを張って貰い腹帯をして横になった、
安静にしていると出血は止まるようだ。
風呂場で出血したときに、試しに傷口を手で押してみたら血が沢山出てきた(かなり薄い色の
血だ、水で薄めた様な)あげく“ぶくぶく”と空気まで出てきた、これでいいのかな?
【1月6日】
今日もまた外出許可で出撃です。
9時回診の時に昨日の出血の話をドクターにしたところ「なんともないよ」だそうです、
その後一時帰宅して今日は子供達と一緒にお風呂に浸かる予定です、ドクターもオーケー
してくれました、子供達とわいわい騒ぎながらの入浴、一緒のお風呂は久方ぶりのこと
入浴が終わるとまた血が流れて来ました、タオルや下着がいちいち血で汚れるのがとても嫌
なのです、(シミになって無駄になるのがすごくもったいない)またガーゼを当て、腹帯をして
お店に向かいます、金曜日でありながら昨日で仕込みもかなり進みあまり仕事もなく
のんびりムードの開店準備、開店後はパラパラとお客さんが来て、のんびりながらも
休むことなく手を動かし続けていました、そしてママが来て自身は着替え、そしてまた出血
なかなかふさがらないです、2,3日でふさがると言われたのに・・・・・・・
【1月7日】
朝の回診またもや出血したことをドクターに伝えたが「なんともない、そのうち止まる」
と答えが返ってきた、う〜ん血が出ること自体は別に何とも無いのだが毎回下着を汚すのも
結構お金が掛かるのにそこんとこわかってくれないかなぁ〜、病院には真ん中にガーゼが
付いた大きな絆創膏がある、ちょっとそれを予備にくれると助かるんだけど、くれないんだな
これが・・・けちっ!
今日は土曜日、過去のデータからだいたいの予測は付く、今日は忙しいのだ、が予約は無い
だから全部フリーオーダーと言うことだ、十分な段取りをしておかないと大変なことになる
賄いも終わりのれんを出す、出足こそ勢いは無いが、6時半を過ぎた所から活気が出てきた
ママが来て自身はここで終了である、自宅でクルマからタクシーに乗り換える相変わらずの
毎日なのだ、義母とママと自身のタクシー代だけで毎日@5000位になる、かなり痛い出費
だ、でも症がない、退院が待ち遠しい、毎日回診後に外出許可を貰い消灯間近に帰ってくる、
入院している意味があるのかないのか?まぁ自身の事情を考慮してドクターが特別認めてくれて
いるのだろう、それに傷口もだまってベッドで寝ていればとっくにくっついているはずなのに
仕事をしている自身が悪いのだ。
消灯時間を過ぎてもお店が気になる「きっと忙しいんだろうなぁ」・・“デイルーム”
と書いてあるホールに行ってお店に電話「あっ、俺 どお?」「すごく忙しかったけど、
今は落ち着いたよ、○○さんと○○さんが来てたよ」などと細かな情報もやりとりして、
やっと一日が終わる。
【1月8日】
今日から連休、自身も外泊の許可を頂いた、朝の回診直後に帰宅一緒にお昼を食べて家の用事を
済ませてから買い出しに、酎ハイやビールも買って、今夜の食事は「寄せ鍋」&「海鮮湯麺」
いつものパターンながら飽きが来ない味です、まだ入院中ながらお酒も少々(?)飲みました、
久々子供達と一緒の布団、やっぱり我が家はいいもんだ。
【1月9日】
朝起きると(早い)やはり出血していた。
一緒に食事を食べて子供とじゃれて昼食後、実家に子供達を連れて行ったその後子供達を連れて
ポスフールにいき子供の物を購入し帰宅夕食の後そして現在の居住区に戻り、そしてこれが
最後の一夜、やはり出血は止まらず処置をして貰い。早く日付が変わるように早くに眠剤を
飲んでベッドに、ところがお店の「発注」を家に忘れてしまい、紙と鉛筆を持ってホールへ
そしてママに発注用紙に書いている内容を一通り読み上げて貰い、それを全部書き写してから
各業者へ自身が発注(この時既に睡眠薬が効いて来ていてかなり寝ぼけモード)そして
よたりながら病室に戻り深い深い眠りの世界へ、
【1月10日】
朝の回診、「何も問題は無し、帰ってよし!」
長い間ご迷惑をお掛けしました。
歩くスピードは速いか遅いか判りませんが、欽と卓、若い二人は確実に成長しています
間だ時々大きなチョンボも有るんですが自身が留守にしている間だ、ママを筆頭に
何とか、大きなミスや間違いも無く(完璧とは言えないですが)お店を
守ってくれました、また今回の事をきっかけに更に二人は成長したと思います。
温かく見守ってくれたお客様方々に、この場を借りて
深く感謝いたします、そしてこれからも宜しく
おたの申します。
完
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